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【わくわく。さいたま市立博物館】

2020.11.30

こんにちは。

気づけば明日から12月、もう年末です。
1年が早いこと。
子供のころは1年が長すぎて2学期が永遠に続くんじゃないかと思ってたっけ。

少し前の出来事です。
秋晴れの穏やかな日、
さいたま市立博物館で第44回特別展「中山道大宮宿」が開催されていたので行ってみました。

大宮公園内にある埼玉県立歴史と民族の博物館にもよく行きますが、こんな楽しい場所が意外と住まいのすぐそばにあるんですよね。
特別展や企画展は見逃さないようにチェックしてます!!

 

今回の「中山道大宮宿」では、
江戸時代の中山道大宮宿がどのような宿場町であったのか、その成り立ちから宿場の機構、描かれた街並みの様子、大宮宿の周辺村落との関わりなど様々な観点から紹介されていました。

撮影禁止の上すでに終わってしまった展示ですが、江戸の時代に気持ちを移してほんの少しですがお伝えしたいと思います。

私たちのオフィス目の前は中山道大宮宿の入口です。
そこに佇む安藤橋碑。

安政4年(1775)、大宮宿に85軒が焼けるという大火が発生。
この時勘定奉行であった安藤弾正が幕府の御用金を施して人々を救ったのに事前の許可を得なかった事に責任を取り切腹したのだそうです。
(そんなぁ…)
そして救われた人々はこの徳を後世永久に伝えるため吉敷町にあった橋を「安藤橋」と名付けたと。

ほどなく歩いて郵便ポストの前の路地入ると塩が奉納された「塩地蔵尊」が鎮座しています。
このお地蔵様には塩にまつわる言い伝えがありました。
二人の娘を連れた浪人が病に倒れ、日一日と重くなってゆく身体。
ある晩、嘆く娘たちは枕夢に現れたお地蔵様が塩断ちするようそのお告げに従ったところ、父の病が全快し幸せに暮らしたんだとさ。
この親子にあやかりたく信仰を篤くした人々はたくさんの塩をお地蔵様に奉納するようになったのだと。

そして塩地蔵から5~6分歩き、第四銀行の手前を右に入ると「涙橋碑」が見られます。
今の新都心駅あたり高台橋近くにあった刑場へ送られる罪人と涙の別れとなった橋だったため、いつの頃からか涙橋と呼ばれるようになりました。


(画像お借りしました)

大宮駅に近づくにつれ、脇本陣や旅籠が軒を連ねていた宿場中心街になっていきます。
大宮宿には本陣1軒、脇本陣が9軒もありましたが、現在では「内倉新右衛門本陣」があった場所だけが「本陣跡」として示されています。

なんとも辛く切ない歴史あり、この機会がなかったら知り得なかったこと。
今は遠くの旅行には行けないけれど、こうしてこんなにも近くで感慨深い歴史を知ることができました。

みなさんの暮らす街にもその地域の昔話があるのでしょう。
一度踏み込んで調べてみると意外な発見があるかもしれません。

いろいろ刺激をもらって12月も頑張ろう!
みなさんも共に元気でありますように!